沖スロ誕生の歴史
みなさん、「沖スロ」って何だがご存知ですか? 全く「沖スロ」のことを知らない方も「知ってるけど、より深く」知りたい方も少しだけ、沖スロ誕生の歴史を紐解く旅にお付き合いください。
さて、そもそも「沖スロ」の定義とは何でしょう。
・沖スロというだけあって、沖縄発祥のスロットマシンのこと?
・大きいコインを使用するスロットマシンのこと?
はい。2つとも正解です。
正解ではあるのですが、私たちが考える沖スロを改めて定義付けしてみると、
沖スロとは
・30φという大きなコインを使用するスロットマシンであること。
・完全告知が主体のシンプルな遊技性であること。
になるでしょう。
※30φ、完全告知についてはまた後で触れてみましょう。
沖スロというだけあって、元々は沖縄本島で生まれ、発展していったのが「沖スロ」ですが、現在は“沖縄で製造されるスロット”というニュアンスはあまり無く、日本全国で色んなメーカーから発売され、全国的な人気を得ています。
「沖縄生まれ全国育ち」となった沖スロですが、そもそも何故、沖縄で生まれたのでしょう。
これには諸説ありますが、最も有力な説をご紹介します。
もともと軍の関係で外国人が多かった沖縄。
その軍施設の中に本国からスロットが持ち込まれ、レジャーとして親しまれていました。
当時のスロットは今のものとは全く形も作りも違うものでした。
そしてプレイするにあたっては、当時の流通貨幣である、「25セント」や「50セント」が使われていたそうです。
「25セント」は100円玉より少し大きい程度で24.3mm。
「50セント」は直径30.6mm程度で現在「沖スロ」で使われているコインそのものの大きさでした。
こうして、もともとは軍に置かれていた「少し大きなコインをつかったスロット」がやがて施設外でも遊ばれるようになり、沖縄全土で親しまれ、後に全国的に広がって行ったのです。
今でこそ全国のホールで遊技できる沖スロも、当初は沖縄で産声をあげたのがスタートです。
その名残で、現在の“大きなコイン=沖スロ”という文化が形づくられていったのです。
そう、「沖スロ」は時代の変化と共に、社会の大きな流れの中で人々の生活と共に醸成され広がっていった、まさしく一つの文化といえるものです。
こうして生まれた「沖スロ」ですが、沖スロという名称のほかにも色んな呼び方で親しまれています。
例えば、「デカコイン」、「30パイ」などです。
これらは全て沖スロの愛称ですが、どちらも全国的に普及している「25ハイの小さなコイン」との比較として生まれた言葉です。
ここでいう「30パイ」のパイとはもともと製図の領域で“直径”を指すことばで、ギリシャ文字の「φ」で表されます。
つまり沖スロの愛称である30φ(さんじゅっぱい)は直径30mmのコインを指す、という事になります。
そして、もう一つの定義である「完全告知が主体であるシンプルなゲーム性」について。
沖スロが初心者からマニアな方まで非常に幅広いプレイヤーに親しまれている理由がここにあります。
パチスロはスタートレバーを叩いた時に抽選を行なう仕組みになっています。
沖スロのゲーム性の主軸である「完全告知」とは、この抽選を行なった時に「当たり」であった場合、直ぐにプレイヤーに当たりであることをお知らせするゲーム性のことです。
つまり、「今、自分の拳で叩いたタイミングによってボーナスを引き当てた!」という自己達成感を味わうことができるということが非常に大きな要素となっています。
「それだけ?」と思う方もいるかもしれませんが、パチスロのゲーム性でこれほどまでに「余分な贅肉をそぎ落としたシンプルな機械」はありません。
あなたが拳を叩いたその刹那、ボーナスに当選した瞬間を体感できるのです。
これほど無駄が無く、一気に喜びを爆発させることが出来るパチスロはありません。
パチスロが好きになる過程で、一周まわってまた沖スロにハマるプレイヤーが多いのも、そういったシンプルさに魅了されることが多いからでしょう。
さて、そろそろ沖スロの歴史旅も終わりに近づいてきました。
沖スロの誕生秘話からその魅力まで、一気にお話ししてしまった感はありますが、如何だったでしょうか。
これを機に、まだ一度も沖スロを遊んだことのない方も、是非一度プレイしてみてください。
今回のお話に付き合って頂けたあなたであればきっとその楽しさの深みに触れることが出来るハズですよ!